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『岩高130周年 私たちの青春録 進路変えたベトナム戦争』

三木恵美子 弁護士

プロフィル

みき・えみこ
76年卒業。東京大法学部卒業。89年4月、弁護士登録し横浜法律事務所に所属。オウム真理教に殺害された坂本堤弁護士は、大学のクラスメートであり、同事務所の先輩。「人間を信じようとする人だった」という。司法試験に合格したのは86年、28歳の時。のんびりして、明るかったが「留年したし、遅くの合格で、故郷に錦を飾れないと思って、岩国にはなかなか帰れなかった」。外国人女性のため緊急避難施設を運営し、電話相談を受けるNPOの代表でもある。「岩国で育ったことの影響は大きい」

米軍岩国基地に近い川下の出身。
高校3年生の75年は衝撃的な年だった。

 4月30日にサイゴンが陥落したんです。世界一強いアメリカが、ベトナムに負けることはあり得ないと思っていたのに。いっつも彼らは威張っているし、ものすごく経済力があるし、パワー全開ですよ。それが目に見えて兵隊の数が減ってきたんです。負けてるんだって途中で思いましたけど、2月ぐらいから4月30日までは非常に興奮してました。

 でも兵隊向けのクラブとかレストランをやっているうちの子は、家業を継げなくなる、仕事がなくなるってことですから、これはえらいことになったと。で、秋に広島カープがセ・リーグ初優勝。世の中には不可能が可能になることがあるんだな、と思いましたね。

大学進学も岩国を出ることも全く考えていなかったという。
それがベトナム戦争終結で変わった。

 就職先が減ったと思いましたし、英語の先生が熱弁をふるわれたんです。「この際だから、いろいろとおもしろいことをやればいい」みたいな。「夢を持って東京に行くんだ」と変わりましたね。

 1年生から応援部のチアリーダーをやっていました。野球部が73年のセンバツに出場する際に作られて、4~8月だけ活動するんです。75年の夏は野球部が予選で早く負けたので、そこから本格的に受験勉強を始めました。でも秋の体育祭も文化祭も一生懸命やったから、いつ勉強してたのかな。18歳のころって寝なくても大丈夫だったんでしょうね。

 先生たちも補習など応援してくれました。おもしろい先生は多かったですね。例えば英語。偉い人のスピーチを暗唱させるんですよ。ケネディの大統領就任演説とか。「英語がうまくなろうと思ったら、格調高い、いいスピーチを覚えて自分自身を激励するんだ」って言うんですね。最初は棒読みですけど、みんなで暗唱しました。

 哲学をやっている先生もいたし、古文はひたすら源氏物語を読んでましたね。大学の教養部みたいな授業をよく覚えています。漢文の先生は野球が大好きだったので、カープが優勝争いを始めてから土曜の授業をやめちゃった。広島球場で応援しないといけないから。生徒がラジオを聞きながら授業に集中しないのも嫌だったんでしょう。「みんな球場で会いましょう」みたいな。優勝してから、土曜に2コマ授業しましたけど。

落ちたら進学はない、と東京大文科Ⅰ類だけを受験。
現役で合格した。

 東京に来て感動しました。すごく頭のいい人が、クラスにいっぱいいるんです。たくさん本を読んでいるし、読んでいる本が違う。プロのようにバイオリンを弾く人、芝居の脚本を書いている人、テレビの脚本を書いている人とかもいるんですよ。

 楽しいから留年しちゃう。すると当時は就職先がなかったですね。東大の法学部で留年しています、女性ですっていうと、面接してもらえませんでしたから。消去法的なんですけど、それで司法試験しかないとなったわけです。

【毎日新聞 山口東版 2010年5月13日付 聞き手・久保田修寿】

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